励まし活動について
「励まし慰める交換日記」というブログをやっています。
毎日ブログを始めた人を励ましたり、落ち込んでいる人を慰めながら、メンバー同士で交換日記をしているんですが、なんで励ましたり、慰めたりしてながら交換日記をしているのかお伝えします。
もともと、私は、「励ます」とか「慰める」という行為が苦手で、というか「挨拶」とかちょっとした声がけとかコミュニケーション全般に苦手意識があり、サラリーマンをしているとき、朝、こちらから挨拶するのが苦痛で人より1時間早く会社に行き、そのことによって、こちらから挨拶せずに後から出社した人の挨拶に応える、という手段をとっていたほどです。
その延長線上で、人のブログにコメントをつけたり、ツイッターでメンションしたり、リツイートしたり、そういう活動も積極的にしようとはせず、常にコミュニケーションにおいて受け身でここまできました。
しかし、自分のつぶやきがリツイートされたり、メンションをいただいたり、そういう時はとても嬉しい、もっとリツイートしてほしい、もっとメンションしてほしい、もっと私のことを崇めたてろ!と自分はしないのに非常に身勝手に心の中で人に求めていました。恥ずかしいので声に出しては言ってません。
このブログのスターやブックマークやコメントもとても嬉しいです。いつもありがとうございます。
ここに矛盾が生じます。
自分が発信したことのリアクションは嬉しいのに、人の発信情報にリアクションするのは苦手である。
傲岸不遜ですよね。
でも、人が私のブログにブックマークをつけるのは当たり前だけど、私が人にそんなことをする必要はない!
と思っていたわけではありません。
なんとなく、そういうことは迷惑なんじゃないだろうか?と思っていました。
ハイ、おかしいですね?
人間というのは、時々、自分自身にこういう嘘をつきます。
普通、自分が嬉しいことは、人にとって迷惑とは思わないはずですよね?
悪いツボ「いやいや、オレは嬉しいけど、それはオレが一風変わっているからであって、世間一般的には、コメントがついたら「えー、コメント返すの面倒!」と思うものなんだよ!オレも面倒な時あるし!」
嘘です。コメントが付いてないか、一日になんどもブログを確認し、コメントが付いたら、嬉々としてお返事しています。
そもそも、そういうことが面倒な人はネットで発信しないのではないでしょうか?それでも何らかの理由で発信する人は、機能を使って、コメント欄を閉じたり、限定的な発言が可能なサービスを利用するのではないでしょうか?
恐ろしいのは、自分が面倒なことを正当化するために、「そんなことをしても迷惑に違いない」と思い込んでいたことです。
そういう腐れて爛れきった心を叩きなおし、「いいひと」として生きていこう!という気持ちが形となって「励まし慰める交換日記」は生まれました…。
心を入れ替えて、励まし、慰め、褒め、応援していきたいと思います。