日々のあれこれ

勘違いが激しく、間の悪いおっさんが、面白とはなにか究明しながら成長していくサクセスブログエンターテイメントです。

いいひととして生きていく

励まし、慰め、挨拶をし、必要とあらばハグも辞さない、そんな「いいひと」人生を生きていくと心に誓った私ですが、「いいひと」って胡散臭いと思う人もいると思うんですよね。

 

思えば私の「いいひと」へのためらいの多くは、偽善的胡散臭さへのためらいだったのかもしれません。

 

それでも、「いいひと」として生きていくにはそれなりの理由があります。

 

今年に入って、道行く人とすれ違うときは爽快な挨拶をこちらから発し、落ち込んでいる人がいたら慰め、何かにチャレンジする人を励ましているんですが、実際やってみて自分自身に胡散臭さは一切感じません。偽善なんて瞬く間に慣れます。自分がどんなににんにく臭くても食べた本人にはその臭さがわからないように。

 

それで、「いいひと」でいるとどうなるかというと、「いいひと」が周りに集まってきます。「偽善家」や「いいひとのふり」をしているだけの人は、本当の「いいひと」の空気に耐えられないので、すぐに離れていきます。

 

今の疑問は、私はどこで「いいひと」を胡散臭く感じてしまう人生を選んでしまったんでしょう?どこで受け入れ、どうしてそのままこじらせてしまったんでしょう?

 

このことについて、少し考えていきたいと思います。