日々のあれこれ

勘違いが激しく、間の悪いおっさんが、面白とはなにか究明しながら成長していくサクセスブログエンターテイメントです。

霊について

霊について考えてみたいと思います。私は、結構、最近まで、霊とかそういうのがあるのかどうか?よくわからないな。と思っていたんですが、ある時、人類の進化についての本を読んでいる時に、霊なしで行こう!と決めました。いる・いない、ではなく「なしでいこう!」という感じです。

 

霊なし!のほうが、なんとなくすっきりするというか、変な心配をしたり、自分も死んだら霊になって、好きに移動できるのかな?月まで行ったり出来るんだろうか?

 

どんどん宇宙空間を彷徨って、人類が住める惑星を見つけて帰ってきたらすごいな。宇宙人の霊とかも地球にやってきて友達になったりするのかな?

と、色々夢は膨らむものの、霊なしで!

 

 

面白さとは…

無駄に忙しく、無駄に体調を崩していました。しかし、有意義に体調を崩すということは普通ないので、普通に体調を壊していた、でいいのかもしれません。

 

今日は、「面白さとはなんなのか?」一瞬、面白さのしっぽを掴みかけた気がしました。よし、このしっぽを手繰り寄せて、面白さの正体を確認すれば、今後、手に触れるあらゆるものを面白に変えられる!と思いましたが、その瞬間どうかしていただけのようで、お化けを捕まえたと思ったらキャベツの皮だったかのように、期待外れでした。

 

自分にがっかりです。

 

昼間、とても面白いブログを見つけたので、そのブログをじっくり分析していけばいいと思ったんですが、今読んだらほぼ面白くなかったです。逆になんでこんなに印象が違うのか?研究する価値があるのではないか?と思えるほどです。

 

修行は続きます…。

抽象的なことを具体的にわかりやすくして伝える

複雑な概念をわかりやすい言葉で、伝えるためには、複雑な概念を上からみて、わかりやすくしないといけません。

 

つまり、抽象的なことはもう一段階抽象化しないと具体化出来ない。

 

なので、面倒で、ついつい抽象的なまま伝わる人と仲良くなって抽象的なまま会話してしまいます。

 

これは、パラドックスなんですが、抽象度の違う人と会話するほうが、具体化するために一旦抽象度をあげないといけないので、抽象化能力は高まる、ということです。

 

つまり、抽象度の高い人同士で話していると楽しいけど抽象度はあがらない。

 

逆に、抽象度のばらつきのある人達と会話するともっと抽象度をあげて、具体化するという努力をするので、抽象化能力が上がっていきます。

 

その結果、もっと抽象度の高い人ともチャンネルがあうようになり、もっと面白い人と出会えるようになります。

 

なので、抽象度の合う人達だけで、グループを作るのは停滞の始まり、ということになります。

ちょっと頭がおかしくなったのか?

ちょっと頭がおかしくなったのか?というレベルで抽象化に就いてばかり考えています。

 

それほど、抽象化という概念は面白いです。「考える」というのは抽象化と具体化を行き来すること。と言えます。今までもやっていたんですが、明確に意識することによって、抽象化力をあげ、思考力を鍛えることが可能と考えると面白くて居ても立ってもいられない状況という感じです。

 

一時的な恋のようなものなのでしょうか?夢なら醒めないでほしい、という感じです。

抽象度を高めるトレーニング

グレインサイズの高め方

人との関係性の抽象化

例えば、4人、人が集まって話をする場合に、その中にいる1人は、残り3人がどんな性格で、どんな価値観で、どういう話がしたいか?どこまでなら本音で話してもいいか?絶対してはいけない話はなにか?抽象的に把握して、ガイドラインにそって会話をします。

 

このガイドラインを抽象的に把握できず、自分の話したいことだけ話してしまったり、人の話を価値観を考えずに否定してしまったり、言ってはいけないことを言ってしまうと「空気が読めない(空気嫁)」と思われてしまいます。

 

抽象的に把握せずに具体的に把握することは可能でしょうか?

 

会話をしながら、具体的に一つ一つの言葉の適切さを判定するのおそらく無理なので、抽象的に「大体こういう感じで話す」という感じに把握するしかないです。

 

「何を話したらいいかわからない」

「いつも失言してしまう」

「空気が読めないと言われる」

「緊張して話せない」

 というのは、関係性の抽象化が苦手なだけで、それが出来るようになれば物怖じせず、失敗することなく話せるようになるかもしれない、と思いました。

 

 

抽象化

「具体と抽象」を読んでものごとを「抽象的」に考えることの大切さを痛感しました。

 

ポチという柴犬を飼っていたとします。

「ポチ」が一番具体的で

「ポチ」→「柴犬」→「犬」→「哺乳類」→「動物」→「生き物」

というふうに抽象化することが可能です。また、

「ポチ」→「ペット」→「家族」

というふうに抽象化することも可能です。また、

「ポチ」→「タンパク質の塊」→「非常食」

というふうに抽象化することも可能です。また、

「ポチ」→「パートナー」→「狩りの道具」

 というふうに抽象化することも可能です。

 

それで?と思われるかもしれませんね。では、

「ポチの抽象化」→「あらゆるものは抽象化可能」→「あらゆるものの本質を把握」

と考えると、抽象化はあらゆるものの本質を把握するツールと考えることが可能です。

 

さらに、「人と人の関係性」「物語」なども抽象化していくことが可能です…。

 

具体的なままでは把握できないことが抽象化によって違う形で把握できるようになる…らしい…です。