偽善
偽善について考えみたいと思います。
偽りの善。ということは、本当は善ではないけど、善のふりをする、ということでしょうか?
私は、自分の中にどれぐらい善がビルトインされているかさっぱりわからないし、自信がないので、一生涯偽善者として生きていこう、と最近考えています。
死ぬまで偽善を通していきます。
困っている人がいたら助け、落ち込んでいる人がいれば励まし、腱鞘炎になるまで、いいねボタンを押しまくります。
ブログを書いている人がいれば、時間の許す限りブックマークしコメントしていきます。
悩んでいる人がいたら、相談に乗り、夢の実現に向けて頑張っている人を手助けします。
そうやって獲得した、偽りの名誉や人気をさらなる偽善に再投入していきます。偽善の拡大再生産です。
偽りの善に疲れるどころか、慣れと心地よさから、更に偽善を繰り返してしまうかもしれません。
そして、偽善のプロになります。偽善のプロになると傍目に私の行いが善なのか、偽善なのか全く区別がつかない状況です。
それどころか、私自身も自分の行いの何処までが善でどこからが偽善かわからなくなっているでしょう。
そして、人類最後の一人になり、火の鳥が迎えに来るのを待ちます。